立夏! この日を待ちわびましたよホントに、というわけで今年の夏もよろしくお願いします。

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SUMMER SEASIDE SHORE FOR EVERLASTING VALUE

 

立夏を迎えた喜びを心から申しあげます!

 

うれしい。ひとことで語り尽くせます。

 

 

冷静に考えると、異常気象的な暑さですし、

 

春のうちからなんともまあ暑かったですね?

 

 

どんなに暑くても春は春。

 

やはり「立夏」を迎えてこその「夏」なのですよ。

 

 

 

うれしくてテンションあがりまくりです。

 

 

単純に「日照時間」が長くなれば、

 

陽射しを満喫できる時間も長いという話です。

 

 

そして明日から、いよいよ「昼間の勤務」に戻ります。

 

長かったです、冬。

 

ていいますか寒い日が多すぎなんですよね。

 

暑いくらいで、ちょうどいいんです。

 

暑くてへばったからって「冬がいい」なんて言ったことのない私にとって、

 

夏の暑さと眩しさへの渇望は本気なんですよ。

 

狂気の沙汰です。

 

 

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自転車に乗って太平洋岸を、ひた走るなんて最高で最高で最高!!!犬吠埼灯台ふぅ

 

 

 

それにしても、とくになにかをしているわけでもないのに、うれしくなります

 

うれしい。

            うれしい。

 

       うれしくなります。

 

                    うれしい!

 

      うれしい!!

 

 

  うれしいんです!!!

 

 

 

 

夏。ただ、それだけ。それだけのこと。

 

 

なお梅雨の季節は許容範囲内なので。

 

おそらく「眩しさ」がポイントです。

 

梅雨の合間の晴れた空の眩しさ、

 

せせらぎ沿いに咲き誇る野生のアジサイの色味の強さ。

 

 

 

私が通っていた学校は、初夏に文化祭があって、

 

そのイメージが強烈に残っているっていうのもあります。

 

 

 

いろいろなことを、たくさん忘れたんだと思います。

 

忘れて、忘れて、忘れ果ててなお残り続けている記憶が、

 

むちゃくちゃキラキラしてやがるのですよ。

 

 

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とくに意味なんてないんですからね!

 

 

意味なんてないよ、あるわけないよ、それはそれでいいじゃありませんか?

 

 

生きてる意味も、生きてく意味も、別に気にしなくていいと思っています。

 

17歳の頃は、なにかと心を痛めたり悩んだり迷ったりしていましたが、

 

14歳の頃なんて、

なにもかも自由!自由!自由!

という感覚を持っていました。

 

もちろん、あれは「幻想」でした。

 

自由なわけないでしょ?

 

不自由ばかりですよ?

 

にもかかわらず、脳は勝手に「自由!」を連発しまくっていたんですよね。

 

 

イマジンブレーカーが現れるまで、

 

自分自身の中で踊り狂う「自由!×8連発」に酔いしれていました。

 

お祭りっすね!

 

 

祭りのあとは、まあ、言うまでもありません。

 

 

 

この日を待ちわびました。

 

 

 

毎年、言ってる気がします。

 

 

 

 

 

 

草刈りには蚊遣り豚を連れていきます。

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プロダクトアウトについて考えてみる。プロダクトアウトって、なんでしたっけ?

プロダクトアウト

product out

 

 

簡単に言うと、

「作り手がいいと思うものを作る」

ということらしいです。

 

さらに言うと、

「作ったものを売る」

です。

 

 

「作り手」が優先されている、というわけです。

 

その反対の意味合いといいますか、

対義語なのが、

 

マーケットイン

market in 

 

です。

 

マーケットインでは、

「望まれるものを作る」

ことであり、

「売れるものを作る」

ことになり、

「売れるものだけを作って提供する」

ことになります。

 

 

 

ちょっと気になったので、メモがてら。

 

 

 

 

 

 

 

冬が嫌いなのではなくて凍えるのがこわいだけ

私は夏が好きです。

 

あの夏の高い気温と、どうしようもない湿度を体験しても、夏のほうが好きです。

 

じゃあ冬が心底キライなのかというと、そういうわけでもないのです。

 

冬が嫌いというよりも、冬に凍えてしまうのが苦手なので、便宜的にといいますか。

 

代表的なものが、水道管の凍結です。まじ嫌です。水道管に関するトラブルは、なにがなんでも避けたいという一心です。冬は毎日、水道の元栓を閉めて水抜きしています。

 

まあ水抜き作業は面倒ですが、水抜きそのものは嫌いではありません。

 

水抜きをしなくてはならないという日課的なものが嫌です。日課的なものによる圧迫感で、本当に息苦しくなってしまいます。イライラの原因になります。

 

今年は思い切って、家そのものを、どうにかしようと考えています。まじ寒い、この家。断熱性能なんて、おそらくないのでしょう。それは仕方ありませんが、そうと知ってなお放置し続けるのが嫌です。

 

ああ、なんだ、自分の問題じゃないかと気づくパターンですが、それも本当に圧迫感になっています。

 

 

断熱リフォームの見積もりを依頼してみたところ、多めに想像していた金額の七倍ありました。予算オーバーどころの話では、ありません。

 

最近になって、家の中いながら水抜きができるシステムがあるらしいことが分かりました。懇意にしているリフォーム業者では取り扱っていないそうですが。

 

なんとかしたいなと考えながらも、なんともならない現実です。

 

なんとかしたいと真剣に考えていますが、考えたうえでの行動もしています。

 

そのうち暖かくなれば、「まだ、いっか」となりそうです。

 

できることなら工事費用は抑えたいのですが、だからといって必要な工事費用はケチりたくないのも本音です。

 

一流の業者に、一流の完成度を求めるなら、予算は必須です。

 

たとえ少なくてもチップも用意します。

 

でも基本的な見積もりの段階で、どうしようもありませんでした。

 

だから、さっきも水抜きしてきたよ。寒かったです。

 

 

 

八月になりました

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八月になりました。

 

以前、使用していたジョウロが、どうしても見つかりません。

 

ガラス製で、さきっぽが長くて曲がっていて細いタイプです。

 

一滴ぽとり、というような繊細な水遣りにも対応できるタイプです。

 

おもに室内で使用していました。

 

夏は、こまめに少しづつ、水をあげたいので、さてさてさて。

 

そこで近所で売っている場所がないか調べていたところ、

 

「如雨露」

 

という文字を見かけました。

 

如雨露。ジョウロです。あめつゆのごとく、まさに水撒きできます。

 

普段それほど意識せず使用している樹脂製のジョウロまでも、

 

美意識に満ち溢れた一品のように感じられるようになりました。

 

 

 

 

 

 

美味しいです。

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あっという間のようにも感じるし、

とても長く長い道のりだったようにも感じてしまう8年間でした。

 

そんな8年間を過ごしてから、さらに3年間が過ぎていました。

 

たとえようのない感覚です。

 

正直なところ、あっという間です。

けれども、子供にとっての時間感覚は別でしょう。

もう、それはそれは、もう、とてつもなく、かけがえのない、長くもありつつ、

唯一無二の季節のような。

 

たとえようがないので、このへんにしておきます。

 

 

まだ、いいのでしょうか。

なにか好きなことをしても。

 

もう存分に生きたようにも感じます。夏を精一杯に生きて生きて行き切ったとさえ、思いそうになるのです。

まだ時間が、ある、ようです。

 

そうですね、なんというか、まあ、

やれることをやることにします。

 

もっと上手な作戦だとか、

もっと合理的な判断だとか、

あるのでしょうけれども。

 

仕事の合間に、コーヒーを。アイスコーヒーです。

いれたての熱々を、かちんこちんの氷にかけて、一気に冷たくします。

 

美味しいです。とてもとてもとても、美味しいです。

 

 

 

なにもないように感じる日

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とくべつなにかが、あるわけでもなく、暮れていく一日。そうして幾日。

私にとって夏は最高の季節なので、なにもないように感じる日でも最高。

 

梅雨に入り、かなり、まとまった雨が降りました。

よく歩く道沿いの田んぼは潤っています。

できれば朝と昼は晴れて、夕立になって欲しいのですが、

そう都合よく降るわけもなく、何度も何度も激しい雨に撃たれました。

 

朝、いちめんに霧がたちこめて、すぐそこさえも見えないほどでした。

みるみるうちに視界が開けて、なにごともなかったかのように、街が見えます。

 

できることなら、カナメモチの剪定をしておきたかったな、と、思いました。

思うだけで、風に吹かれながら、焙煎したての珈琲豆の香りを楽しみました。