自分に還ってくる

自分の発言は、もちろんのこと。

 

言ったこと言わなかったこと、したこと、しなかったことも。

 

なにを、やった。

 

なにを、やらなかった。

 

もう、とことこん問い詰められてる感ありすぎ。

 

うわあ。

 

と空を見あげて叫びたくなる。

 

才能が実力が、あるとかないとかホントもうどうでもいい。

 

そういう比較レベルにすら、たどりつけていないし。

 

そもそも自分がどのあたりにいるのかさえ全然わかんない。

 

ああ、そうだ。そうだよ。そうだった。

 

自分こそが自分のこと、よくわかるとでも?

 

自分でわかってる、わかってるよ?

 

歯が痛くなれば、自分より他人の歯科医のほうが的確に状況を見抜いてくれる。

 

自分だからこそ自分のことが、わからない。

 

おれが説明するとかしないとか、関係ない。

 

おそらく。きみのほうが的確に見抜いている。

 

おれのこと。

 

そういうもんだろう。

 

妻に聞くことは可能だ。

 

けど。

 

人間関係に亀裂を発生させるような発言は、しないんじゃないかな。

 

要するに、おれが逆上するような発言を、わざわざ妻がするのかなっていう話。

 

けど。

 

悪くない。

 

励まされるって、素敵。

 

世界でひとり、認めてくれてる。って素晴らしい。

 

ありがたい。

 

味方でいてくれる。

 

もう、それだけでじゅうぶんだ。

 

 

 

おれにできること。

 

って、なんだろう?

 

もうすでに、あれをしてるし、それもしてる。これもだよ。

 

どれも、おれの役目。

 

役の終わりは、おれ自身が気づくこと不可能なのかな。

 

そもそも役って。おれの役目とは。使命でもいい、役割でも。

 

で。

 

なに?

 

 

そんなことを数分間ほど考えていた。と思う。

 

深夜アニメを観るまでの時間だった。

 

アニメが始まったからアニメに集中した。

 

楽しかった。すごかった。語彙力ないな、おれ。けどいいや。

 

 

 

どんな姿でも、こんな状況でも、おれはおれを支えてる。

 

ありがとう。

 

14才の、おれへ。

 

ありがとう。

 

きみこそ素晴らしい。

 

ありがとう、きみが親孝行をしてくれたから、そのことが今でも役に立っている。

 

イヤミじゃないし、皮肉でもないよ。

 

親孝行の定義は簡単だったり複雑だったりするかもだけど、まぎれもなく、あれはあれで。

 

きみは両親を喜ばせた。

 

それでじゅうぶん。

 

大切にすべきだったひとがいる。

 

ひとりじゃなくて、何人もいる。

 

本当に大切にすべきでした。

 

なあ、姉ちゃん。

 

なあ。

 

ひどいこと言ってしまった。

 

おさななじみ。

 

お礼を言えてすらいない。

 

親友って、なんだっけ?

 

もしも親友と呼べる存在が、おれにもあるんだとしたら。

 

きみのこと。

 

あいつのこと。

 

うん。

 

ありがとうって思うだけで実際に具体的に行動して見せたわけじゃないし。

 

恋愛は季節風みたいに通り過ぎて、梅雨や夕立や長雨みたいに。

 

なんていうか。

 

恵みの雨。潤いの雨。破壊的な雨。すべての感情を教えてくれた。

 

ありがとう。

 

 

 

まわりまわって全部みんな自分に還ってくる。

 

思い知ったよ。

 

おれ、こんな年になっちまってて。

 

思い知ったさ。

 

 

 

どうすればいいのか、わかんない。

 

わかんないけど、やってる。

 

なんかしらないけど、ときどきね。

 

こう思う。

 

 

「うまくいきそう」

 

「なんとかなる」

 

「できるじゃんか」

 

 

思っちゃう。笑っちゃう。実際には笑ってないけど、笑える。

 

笑えないよな。

 

そうだな。

 

 

いまこうしてなんとか生きていられるのは、過去の自分のおかげ。

 

だろうな。

 

 

いまのおれが、なんの役に立っているのか知らないけど。

 

こうしておめおめと書き連ねていられるってことは。

 

案外こういう作業そのものが本当に過去の自分に伝わっていたりして。

 

とかな。

 

大丈夫です。なんとかなるって。だから落ち込んでもいい。開き直ってもいい。

 

なるようになるさ、と割り切ってもいい。

 

もちろんだけど、もがいてもがいてもがきまくってもOKだよ。

 

頑張って失敗して残念だったね、でも大丈夫。

 

だからこそ、っていう世界が広がってくよ。

 

失敗したからこそ見えてくる世界。

 

失敗だと受け入れたからこそ得られるものもある。

 

実際、あった。あったし、もう実際おれ経験したことだし、いまなお生きていられるし。

 

な?

 

大丈夫でした。

 

だから迷ってもなんでも、自分で選択してください。

 

自分の選択を「これでいい」「これがいい」と、自信を持って断言しちゃえ。

 

少なくとも、おれはそうした。そうしてきて、いまこんななんだけど、これって。

 

 

どうかな?

 

 

どうだろう。

 

 

どうだろう。って、ぐるぐるしちゃう。

 

ねよう。

 

まずは、それだ。

 

ねよう。

 

おきてからまた考えてもいいし、忘れてしまっていてもいい。

 

 

明日は明日の空気を満喫しよう。

 

ありがとう、今日の自分。

 

ありがとう、精一杯もがいていた14才のおれ。

 

ありがとう、反旗を翻して突っ走った18-19のおれ。

 

ありがとう、「ただこうして生きているだけでも素晴らしい」と実感してくれた、22才のおれ。

 

夏の輝きが最高潮で、思う存分に遊びまくって、人生最高だなって、もうそれだけでじゅうぶんスゲーっていうのに、ダメ押しかよっていうくらいに突き抜けていった26才のおれ。

 

ありがとう。

 

心から感謝しています。

 

 

この感謝、届け。