見えていないからこそのチャンス到来

チャンス到来の予感がする。

 

そういうこと、何度か、あった。

 

今まで過去に。遠い昔に。最近ないな。でも覚えている。

 

うろ覚えだけど。

 

久しぶりにね、なんか来た。予感、予兆、それとも警告?

 

いずれにしろ、おれに選択の余地なんてないな。

 

行くだけ。進むだけ。手にとって、歩いて、見る。聴く。

 

考えるのは、しばらく進んでからだろう。

 

ここどこ。あれなに。それ、どういう意味。

 

あとから、あとから、疑問が湧いてくる。んだと思う。

 

 

 

かつて。

 

そんなことがあった。

 

あの日あの時あの場所で、なんの根拠も信憑性も保証もない状況下。

 

おれは選んだ。

 

選ぶことは、決意。

 

決意して実行したなら、自分が自分を信頼したってことだ。

 

 

なにも見えていない。

 

大海原。

 

でも知っているだろ、この海を突き進んだ先に陸地があることを。

 

見えない時間を過ごすことで、着実に近づいていて、必ず現われる。

 

島か大陸か。

 

こんなに見えているのに。

 

なにも見えていないのと同じ?

 

空が素晴らしい。宇宙どこ。海が怖い。飲み込まれそう。

 

風が心地いい。

 

押されている感覚。

 

風が帆をふくらませた。

 

なにも見えていないとき、なにも得ていないからこそ、

 

チャンス到来なんだと思う。

 

いかすか、どうかなんて、なあ?

 

いままでさんざん、経験してきたじゃん。

 

これチャンス。

 

それチャンス。

 

あれチャンスだった。

 

なにを得ても、得なくても、成功しても失敗しても、お得でしたよね。

 

だって。

 

成功すれば喜ぶだけだし、

 

失敗したなら大いに学べるってことだから。

 

なあんだ。

 

どっちにしたって、いいことに繫がる。